大山のぶ代ドラえもん忘れる?認知症はいつから?

大山のぶ代ドラえもん忘れる?認知症はいつから?
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大山のぶ代さんといえば、長年「ドラえもん」の声を担当してきた初代声優さんとして広く知られていましたが、先月、老衰のため90歳でお亡くなりになりました。

晩年には認知症を患い、「ドラえもん」の声を担当していたことすら忘れてしまったというエピソードが、多くのファンを驚かせました。

私もこんな唯一無二の偉業を忘れてしまうなんて・・・と悲しくなったことを覚えています。

では、大山のぶ代さんの認知症はいつから始まったのでしょうか?

本記事ではこの「ドラえもん忘れる」に関するエピソードと共に、実際には認知症がいつから始まったのかその時期や背景について探っていきます。

 

大山のぶ代ドラえもん忘れる?

大山のぶ代さんが「ドラえもん」の声を担当していたことを忘れてしまった、という衝撃的なニュースは多くのファンに大きな驚きと悲しみをもたらしました。

長年、子供たちに愛され続けた「ドラえもん」の声を演じた彼女が、その大切な役を忘れてしまった背景には、認知症の進行が深く関わっています。

では、どのような経緯でこの出来事が起こったのでしょうか?

ここからは、彼女の記憶の喪失の原因や、その影響について詳しく見ていきましょう。

 

「ドラえもん」の声を忘れてしまった理由

大山のぶ代さんが長年務めた「ドラえもん」の声を忘れてしまった最大の理由は、認知症の進行といえるでしょう。

彼女は1979年昭和54年から26年間にわたり、「ドラえもん」の声を担当し、多くの人々に親しまれてきました。

この中で最もショッキングだったのは、彼女自身が「ドラえもん」の声優を務めていたことを完全に忘れてしまったという事実です。

このエピソードは、彼女の病状の進行を象徴するものとなり、彼女のキャリアに対する深い記憶さえも奪ってしまうほどの認知症の影響がいかに強かったかがわかります。

夫の砂川啓介さんも、このことについては非常にショックを受けていたと報じられています。

 

忘れてしまう中での生活

大山のぶ代さんの認知症は徐々に進行し、彼女の日常生活も変化していき、彼女は、次第に過去の記憶を失い、声優業や日常生活においても支障をきたすようになりました。

彼女の夫、砂川啓介さんは、その間、彼女を献身的に支え続けました。

そして彼女が日常的なケアを必要とする状況を公にし、その過程を世間に伝え続けました。

2017年には砂川さんが亡くなられており、その後は彼女の生活は介護施設での生活が中心となったそうです。

記憶の喪失は進行し、彼女のキャリアや人生の記憶も失われていきましたが、彼女が歩んできた道のりやファンとの絆は色あせることはありませんでした。

大山さんは晩年も多くの人々に愛され続けました。

その人生は砂川さんの支えや想い出と共に、90年という長い歴史に静かに幕を下ろしました。

 

大山のぶ代認知症はいつから?

大山のぶ代さんが認知症を患い始めたのは、実際のところいつ頃だったのでしょうか?

晩年には「ドラえもん」の声優としての記憶を失い、多くのファンに衝撃を与えました。

しかし、認知症の進行は徐々に進んでおり、公に発表されたのは2015年頃と言われています。

ここから、彼女の認知症の発症から進行、そして夫である砂川啓介さんの支えについて順を追って見ていきましょう。

 

認知症の公表と発症の時期

大山のぶ代さんの認知症が公に発表されたのは2015年のことです。

ですが、実際にはそれ以前から少しずつ症状が現れていたことが知られています。

長年にわたって「ドラえもん」の声を務めた彼女でしたが、仕事や日常生活での記憶の混乱が徐々に目立つようになり、次第に声優業にも影響を及ぼすようになっていきました。

2012年秋に「アルツハイマー型認知症」の診断を受けていたようです。

発表当初は驚いたファンも多かったですが、この発表は、彼女が活動を控える大きなきっかけともなり、多くの人々がそのニュースにショックを受けました。

 

アルツハイマー型認知症の特徴は?

アルツハイマー型認知症は、記憶や認知機能が徐々に低下し、日常生活や職業に深刻な影響を及ぼす進行性の病気です。

初期段階では短期記憶の混乱や忘れっぽさが目立ち始めますが、次第に物事を思い出すことが困難になり、複雑な作業や日常的なタスクを遂行することが難しくなります。

これによって大山のぶ代さんも、2012年にアルツハイマー型認知症の診断を受けた頃から、台本のセリフを覚えることが難しくなり、仕事に支障をきたすようになりました。

さらに症状が進行すると、ドラえもんの声を長年担当していたことすら忘れてしまい、次第に声優業を続けることが困難となっていきました。

最終的には、日常生活の中で自分が演じていた役や、それに関連する記憶すらも失われるという厳しい状況に陥ってしまったのです​。

このように、アルツハイマー型認知症は個人のキャリアだけでなく、人生全般に多大な影響を与える病気です。

 

夫・砂川啓介の支え

認知症が進行する中で、大山のぶ代さんの生活は劇的に変化していきました。

彼女は少しずつ記憶を失い、日常生活や仕事の記憶も曖昧になっていきました。

しかし、そんな彼女を支え続けたのが夫の砂川啓介さんです。

砂川さんは彼女の状態に対応しながら、介護日記を公表し、世間に認知症との闘いを伝えていきました。

彼の献身的な支えにより、大山さんは日常生活を続けることができましたが、次第に介護が必要な状態となり、夫婦二人三脚で認知症と向き合う日々が続いたのです。

「料理も家事も完璧で、いつも清潔だった彼女はもうどこにもいないですね・・・」とインタビューに答えてらっしゃった砂川さんの淋しそうな表情が今でも忘れられません。

私の祖父も同じアルツハイマー型の認知症でしたので、元気だったころの姿とは全く違う様子になることはよくわかります。

淋しいですが、居てくれるだけでその「存在」に救われていたのは、きっとどの家族も変わらないでしょう。

そして、芸能界でも「おしどり夫婦」で有名だった大山さんと砂川さん。

ドラえもんの声優業でかなり忙しくなったことがきっかけで、砂川さんが夕飯の準備をする機会が増えて料理上手になったというエピソードも^^

全盛期の頃から砂川さんのサポートがあったからこそ、こうして長くひとつのキャラクターの声優を務め上げることが出来たんだと思います。

夫婦の力・絆ってすごいですね!

 

大山のぶ代の引退から次へのバトンタッチで引き継がれるドラえもん

大山のぶ代さんが「ドラえもん」の声優を引退することを決断した背景には、彼女の健康状態や認知症の進行が大きく関わっていました。

彼女は長年、子供から大人まで愛されるキャラクター「ドラえもん」の声を務めてきましたが、次第に記憶が曖昧になり、声優業を続けることが難しくなっていきました。

正確な時期を調べてみたところ、2005年(平成17年)までの四半世紀に渡って担当されていたとのこと。

彼女の引退はファンにとっても大きな出来事であり、長いキャリアに幕を引く形となりました。

しかし、大山さん自身も「ドラえもんを理解している人に託したい」と強い意思を示していたと言われ、引退は彼女にとっても重要な決断だったようです。

ちなみに現在は「水田わさび」さんという女性の声優さんが担当されていて、個人的には優しい雰囲気やお顔が大山さんに似てらっしゃると思います。

 

まとめ

 

今回は、大山のぶ代さんが「ドラえもん」の声優であったことを忘れてしまったという話題と、認知症がいつから始まったのかについて振り返りました。

このエピソードは、ファンにとって非常に衝撃的でした。

認知症は2015年頃に公表されましたが、実はそれ以前から少しずつ症状が進んでいて2012年にはすでに診断がついていたようです。

彼女が「ドラえもん」を忘れるまでの道のりや、認知症がいつから始まったのか、そして夫・砂川啓介さんの支えは非常に大きなものでした。

そして、2024年に90歳で亡くなられた彼女の人生は、多くの人々に愛され、彼女の存在はこれからも長く語り継がれていくことでしょう。

大山さんの声こそが私たち世代の永遠の「ドラえもん」です。

沢山の夢や思い出を届けてくださって本当にありがとうございました。

空の上でドラえもんと再会して懐かしい時間をお過ごしくださいね^^☆〃

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